ヨーロッパとアジアが交差するイスタンブール。長い歴史に翻弄されながらも、常に人々の信仰の中心に在ったアヤソフィアと、そのそばにある地下宮殿に行ってきました。
※ 2020年7月、アヤソフィアが博物館からモスクへ変更されるというニュースが世界を驚かせました。
現在、アヤソフィアはモスクとして使用されており、キリストのモザイク画はカーテンで覆われています。観光の際は入り口で靴を脱ぎ、女性はスカーフで髪を覆います。
行き方
アヤソフィアがあるのは旧市街。
トラムのスルタンアフメト駅から徒歩5分です。
手前の広場から見たアヤソフィア。威風堂々とした姿が美しい。
キリストとイスラム。宗教美術の融合
入り口で簡単な手荷物検査を受け、入場します。
アヤソフィアは、現在はモスクではなく博物館です。髪をベールで覆ったり、入り口で靴を脱ぐ必要はありません。
一階から見上げたドーム。
改装中で足場があるものの、凄い迫力。
今まで見てきたどのイスラム建築とも、ヨーロッパの教会とも違う荘厳さです。
建設当時、イスタンブールを支配していたのはビザンツ帝国。キリスト教の一派であるギリシャ正教を信仰する国でした。
サン・ピエトロ大聖堂がカトリックの総本山であるように、アヤソフィア大聖堂はギリシャ正教の総本山でした。
しかしその後、ビザンツ帝国はイスラム教のオスマン帝国によって滅ぼされ、大聖堂はモスクへと改修されます。
十字架は取り除かれ、キリストのモザイク画は漆喰で塗り潰され、メッカの方向にミフラーブが設置され、周囲にはミナレットが建てられ、イスタンブールで最も格式のあるモスクへと姿を変えました。
石畳みを登って、2階へ上がります。
2階で見られるのは、漆喰の下から出てきた鮮やかなモザイク画の数々。
カトリックのものとは違う、独特なデザインです。
第一次世界大戦後、オスマン帝国は滅亡します。
トルコ共和国の初代大統領アタテュルクは、アヤソフィアを教会でもモスクでもなく、博物館として一般公開することに決めました。
モザイク画を覆っていた漆喰は剥がされ、現在は、キリストとイスラムの装飾が融合する世にも珍しい建物として世界に広く知られています。
ムハンマドとアッラーの文字の間に、キリストを抱くマリア
2020年7月、トルコのエルドアン大統領は、アヤソフィアをモスクに戻すことを発表しました。
イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、現在は、キリストを抱くマリアのモザイク画は布で覆われています。2階のモザイク画も覆われてるとすると、見どころが少なくなっているかも。
地下宮殿
アヤソフィアのすぐそばには、もうひとつの観光名所、地下宮殿があります。
入り口は、あまり目立たないこの建物。
階段を降ると、その下には想像を超える驚きの空間が広がっていました。
真っ暗な闇の中に浮かび上がる柱の数々は、まるで宮殿のよう。
ここはローマ帝国時代に造られた貯水池で、実際に宮殿だったわけではありません。
イスタンブールのど真ん中の地下に、こんな世界が広がっているとは、本当に驚き。
ヒュッレム・スルタン・ハマム
アヤソフィアの前方にこじんまりと建つ小さな建物は、ヒュッレム・スルタン・ハマム。観光客に大人気の高級スパです。
これ、実は歴史ある建物で、オスマン帝国時代に数々のモスクを建てた建築家ミマール・スィナンが建てたもの。
ヒュッレム・スルタンとは、皇帝の妃の名前です。この建物は、元々ヒュッレムによる慈善事業として建てられたハマム(公衆浴場)でした。
ヒュッレムは、クリミアから奴隷として連れてこられた女性でした。皇帝から大変気に入られたヒュッレムは、奴隷としての身分を解放され、皇帝と結婚し、共にトプカプ宮殿で暮らしたそうです。
トルコ旅行記