知れば旅がもっと面白くなる!イスタンブールの人気観光地と歴史まとめ

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ヨーロッパとアジアが交差するイスタンブール。様々な民族や宗教が入り混じり、独特な文化を生み出してきました。そんなイスタンブールの人気観光スポットを、歴史と共に紹介します。

 

地下宮殿

イスタンブールの地下に広がる地下宮殿。暗闇に浮かぶその幻想的な光景は、観光客に大人気。ですが実はここ、実際に宮殿だったわけではありません。

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トルコというと、イスラム教のイメージがありますよね。ですが15世紀まで、イスタンブールを支配していたのはキリスト教の国「ビザンツ帝国」。当時、イスタンブールはコンスタンティノープルと呼ばれていて、ヨーロッパでも有数の大都市でした。この場所は、ビザンツ帝国の貯水池として造られたもので、当時の人々の喉の渇きを潤していたそうです。

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アヤソフィア

イスタンブールで最も人気のある観光地といえば、アヤソフィアではないでしょうか。一見モスクのように見えるこの巨大な建物も、元々はビザンツ帝国によって建てられたキリスト教の大聖堂です。

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当時の名前はハギヤ・ソフィア大聖堂。ギリシャ正教会の総本山として建てられました。建物の内部には、今も当時のフレスコ画が残っていますよ。

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その後、ビザンツ帝国は、ヨーロッパ諸国との争いによって領土を失っていき、最期はイスラム教のオスマン帝国に攻め滅ぼされてしまいます。

ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマンの皇帝は、教会を次々と破壊しました。ですがこの大聖堂については、あまりの素晴らしさに皇帝も圧倒されたのでしょう。破壊を免れ、代わりにイスタンブールでも有数のモスクへと姿を変えました。

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ガラタ塔

新市街で一際目立つ三角屋根の建物は、ガラタ塔。ボスポラス海峡を見下ろすように忽然と建つ大きな塔です。こちらもまた、ビザンツ帝国時代に建てられた建物のひとつです。

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この塔を建てたのはジェノヴァ人。ボスポラス海峡を通過する船の監視塔として使っていました。海洋貿易に力を入れていたジェノヴァ人にとって、アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡は、重要な航路だったのです。

その後、オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼすと、ジェノバ人の住むガラタ地区もオスマン帝国の支配下となります。ガラタ塔は、時には牢獄として、時には火災の見張台としてオスマンの人々に使われ続けました。

ルメリ・ヒサル

ボスポラス海峡をクルーズすれば、岸にそびえ立つ巨大な要塞に目を奪われるでしょう。この要塞はルメリ・ヒサル。オスマン帝国がビザンツ帝国を侵略するために造った要塞です。

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オスマン軍は、ここから大砲を構えてボスポラス海峡を通る船を狙っていたそう。ボスポラス海峡をクルーズする際は、大砲をすり抜けながら黒海を目指すヨーロッパ船の気持ちを想像してみてください。この要塞の恐ろしさがよくわかりますよ。

ボスポラス海峡と金角湾

アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡、そして旧市街と新市街を隔てる金角湾は、どちらもイスタンブールの人気観光名所です。海風を浴びながら周辺を散歩をしたり、海を眺めながら食事をしたり、クルーズに参加したりと、楽しみ方は色々。

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ボスポラス海峡と金角湾は、ビザンツ帝国とオスマン帝国の激しい攻防が繰り広げられた場所でもあります。

圧倒的な船数でボスポラス海峡に攻め込んだオスマン軍でしたが、意外にもビザンツ軍と援軍ヴェネツィアに苦戦を強いられます。当時のヴェネツィア共和国といえば、地中海最強の海軍を持つ国でした。対してオスマン軍は、大陸出身の兵士や捕虜の寄せ集め。海戦は苦手だったのです。

このまま海から攻め込むのは難しいと悟ったオスマン軍は、なんと船を陸に引きずり上げ、そのまま金角湾になだれ込みました。陸から船で攻め込まれるとは思いも寄らなかったビザンツ軍は、この奇策により、完全に包囲されてしまいます。

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コンスタンティノープルを包囲した100万人以上のオスマン軍に対し、ビザンツ軍はたったの5000人程度。それでもなんとか2ヶ月近く抵抗しましたが、長い攻城戦の末、とうとう城壁が破られてしまいました。城内にはオスマン軍がなだれ込み、怯えた兵士や一般市民が逃げ惑います。そんな中、ビザンツ帝国最後の皇帝は剣を抜き、敵軍に飛び込み消えていったそうです。こうしてビザンツ帝国は滅亡し、オスマン帝国による支配が始まりました。

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テオドシウスの城壁

ビザンツ帝国とオスマン帝国の最期の攻防に使われたのは、テオドシウスの城壁です。今も旧市街の外れには、城壁の一部が残っています。

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実はこれ、高さ8m、厚さ10mというとんでもなく頑丈な城壁で、コンスタンティノープルを1000年守り続けました。そのため長い間、難攻不落と信じ続けられていた城壁だったのですが、最後はオスマン軍の最新の大砲によって破壊されてしまいました。攻城戦では、城壁の堀が敵味方の死体で埋め尽くされたそう。

ビザンツ帝国とオスマン帝国の激しい攻城戦の様子を体験するなら、パノラマ1453博物館がおすすめです。歴史的な瞬間がリアルに再現されていますよ。

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この辺りの歴史は、歴史小説「ローマ人の物語」で有名な塩野七生の著書「コンスタンティノープルの陥落」で取り上げられています。序盤の地歴的な説明はちょっと退屈ですが、中盤から終盤はまるで映画のようなリアルな描写と怒涛のような展開で、読むのが止められなくなりますよ。イスタンブールに行くならぜひ読んでおきたい1冊です。

スレイマニエ・モスク

イスタンブールの小高い丘にそびえ立つのは、スレイマニエ・モスク。イスタンブールで最も立派なモスクと言っても過言ではない、威風堂々としたモスクです。

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スレイマニエ・モスクは、オスマン帝国皇帝スレイマン1世のために建てられたものです。スレイマン1世は、生涯に何度も遠征を行い、オスマン帝国を最盛期に導いた皇帝です。その領土は現在の中東からウクライナ、ハンガリー、エジプトにまで及ぶほどの広大なものでした。

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スレイマンの時代は、オスマン建築の最盛期でもありました。スレイマニエ・モスクは、スレイマン1世の下で働いた建築家ミマール・スィナンの最高傑作とも言われています。

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ヒュッレム・スルタン・ハマム

アヤソフィアの近くにこじんまりと建つ小さな建物は、ヒュッレム・スルタン・ハマム。実は観光客に大人気の高級スパです。

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この建物、実はとても歴史のある建物で、スレイマニエ・モスクと同じ建築家ミマール・スィナンが建てたもの。ハマムの名前「ヒュッレム・スルタン」は、スレイマン1世の奥さんのことです。この建物は、元々ヒュッレムによる慈善事業として建てられたハマム(公衆浴場)でした。

ヒュッレムは、元々ロシアから奴隷として連れてこられた女性でした。スレイマン1世から大変気に入られたヒュッレムは、奴隷としての身分を解放され、皇帝と結婚し、共に宮殿で暮らしたそうです。更に皇帝の寵愛を後ろ盾に、政治や後継者争いにも多大な影響を与えました。

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このハマムの人気の裏には、世界中で大ヒットしたトルコ製作のドラマ「Magnificent Century (オスマン帝国外伝)」の影響があります。主人公はヒュッレム。奴隷としてオスマン帝国に連れてこられたヒュッレムは、宮廷で嫌がらせを受けながらも皇帝スレイマンの寵愛を手に入れのし上がっていく、という物語。女同士のバトルが見ものです。ドラマの撮影にはトプカプ宮殿も使われているので、行く予定があるなら見ておくと面白いかもしれません。動画配信サービスならHuluで視聴可能です。

トプカプ宮殿

イスタンブールを観光するなら絶対に外せないのがトプカプ宮殿。オスマン帝国の歴代皇帝が住んでいた美しい宮殿です。

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オスマン帝国には独特な風習がたくさんありました。皇帝は誰とも結婚せず、ヨーロッパ中から集められた女奴隷たちとたくさん子供を残すのが普通でした(歴代皇帝の中で結婚をしたのは、スレイマン1世とヒュッレムだけ)。そして皇帝が亡くなると、その子供達の中から次の皇帝が選ばれ、残った子供達は殺されてしまいます。

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宮殿内のハレムと呼ばれる一画には、皇帝に奴隷として献上された大勢の女性たちが暮らしていました。ハレムでは、皇帝の愛を勝ち取り自分の子を皇帝にするための陰謀が絶えませんでした。トプカプ宮殿やハレムについては、こちらで更に詳しく紹介しています。

ブルーモスク

イスタンブールで最も有名なモスク「ブルーモスク」。その美しさと立地の良さから、観光客に大人気のモスクです。オスマン帝国のアフメト1世のために建てられました。

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スレイマン1世の時に最盛期を迎えたオスマン帝国は、その後徐々に衰退していきます。独特な制度が仇となり、皇帝は対外的な政治よりも宮廷内やハレムでの権力争いに翻弄されるようになっていきました。そして、徐々にヨーロッパの歴史からも取り残されていきました。

そんな時代にアフメト1世が愛した女性は、キョセム・スルタン。ギリシャからやって来た奴隷で、ハレムの女性達の中でも特別美しかったそう。しかしアフメト1世が若くして亡くなり、キョセムの息子が皇帝になると、実質的にはキョセムが政権を握るようになりました。奴隷からオスマン帝国を操るまでに上り詰めたキョセムでしたが、その後息子の寵妃との権力争いに敗れ、暗殺されました。ブルーモスクのそばには、アフメト1世とキョセムの霊廟があります。

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ドルマバフチェ宮殿

豪華なシャンデリアやバロック様式の大広間が特徴のドルマバフチェ宮殿。近代化により西洋風のデザインが好まれるようになると、オスマン帝国の皇帝はトプカプ宮殿からドルマバフチェ宮殿に移住しました。

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20世紀には、オスマン帝国は瀕死の病人と呼ばれるほどに衰退していました。第一次世界大戦にオスマン帝国が敗北すると、支配下にあったはずのギリシャが独立し、エーゲ海から攻めてきます。危機を感じた軍人ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、軍を率いてギリシャを撤退させ、休戦協定を結びました。この混乱の中、最後の皇帝メフメト6世は亡命し、オスマン帝国は滅亡しました。

メフメト6世が亡命すると、トルコ共和国の初代大統領となったアタテュルクは、ドルマバフチェ宮殿のハレムを執務室として使用します。

f:id:fullofwanderlust:20190514232137j:imageMilli Saraylar

更にアタテュルクは、アラビア文字の廃止、イスラム教を主体とした法の廃止、宗教的な服装の禁止など、かなり大胆な政策を次々と行いました。現在のトルコがイスラム教の国の中でも比較的旅行しやすいのは、こういった政策の影響によるものが大きいのだと思います。

アヤソフィアのその後

ビザンツ帝国時代には大聖堂として、オスマン帝国時代にはモスクとして使われてきた「アヤソフィア」。

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 アタテュルクは、そんなアヤソフィアを教会でもモスクでもなく、博物館として一般公開することに決めました。モザイク画を塗りつぶしていた漆喰は剥がされ、現在は、キリストとイスラムの装飾が融合する世にも珍しい建物として世界に広く知られています。